sandrutanの日記

本で気になったことのメモです。気取ってます。主観がバリバリ介入します。

入社一年目の教科書

究極の目標は、自分にしかできない仕事をやること。皆さんも「自分がやらなかったら、こういう形の成果は現れなかった」と言えるように、仕事にスパイスを入れるべきでしょう。

 

 究極の目標。

 

自分にしかできない仕事。

 

これにたどり着くのに、どれくらいの時間がかかるのでしょうか。

 

自分だけがやっていて、他の人がやろうともしないことをしていても、自分にしかできないと言えますか。

 

難しい。

 

自分にしかできない、かつ、正義性があることが重要ですね。

 

まとまらない、、、

 

 

僕は「人に影響を与える仕事をしたい」という答えに行きつきました。自分がこの世に生きた証を残したい、社会に自分の足跡を残したいと考えたのです。

 

証といっても、何も後世に語り継がれる偉業でなければならないわけではありません。死ぬ前に「一生懸命生きた」「懸命に生きた」「力を出しきった」「いい人生だった」と思えることが大事なのだと思います。

 

子どもや孫に「こんな仕事をしたんだよ」と胸を張って言える。もっとあれをやっておけば良かったなどと死ぬ間際に公開しないように生きたいのです。

 

これ、すごく同感なんです。

 

僕も、

自分の納得する人生を生きたい 。

子供に『俺の生き方をしろ』と自信を持って言える生き方をしたい。

孫に『おじいちゃんの本を書きなさい』と自信を持って言える生き方をしたい。

犬に『俺についてこい』と言える生き方をしたい。

 

と、想っているのです。

そして、何かを残したい。とも考えています。

 

でも今まではその、何かが途方も無い偉業でなくてはならないと考えたいました。

 

しかし、上の文を読んだことにより

死ぬ直前に、自分がいい人生だった。と思えることが大切なのだと訂正しました。

 

どんな人生がいい人生かですって?そんなの見えません。

 

でも、日々の選択軸はただ一つ。

 

死ぬ直前に後悔しないか。

 

だけです。

 

 

 

人は、人と比べている限り、残念ながら幸せにはなれません。

 

自分にとって幸せ思えたことも、同期より下だということがわかってしまったら、幸せの感覚は半減するものです。

 

 

 

確かにその通り。

 

でも、人と比べることでどんどんと高みを目指すものではないだろうか。

 

すべて人と比べるのが悪いのではなく、

 

シンプルに

ポジティブな比較なのか、

 

ネガティヴな比較なのかによるのではないか。

 

ネガティヴな比較とは、

それこそ自分にとって幸せだった旅行が、

同期の話を聞く限りではまだまだだとわかったとかですかね。落ち込むだけです。

 

一方ポジティブな比較は、

あの人よりも私は成果を上げられていない。では、あの人はどうやっているんだろう?マネしよう!話を聞こう!

 

 

といった、真に高みを目指せているかどうかではないですかね。

 

ネガティヴな比較は、自分をどんどん小さくする。

 

ポジティブな比較は、自分をどんどん大きくする。

 

上司の仕事というのは、部下の力を引き出してより良い成果を上げることだからです。 

 

上司の仕事は、みずからのチームの成果を、数字を最大化すること。

 

その近道は、チームメンバー一人一人が成果を上げること。

 

そういうことですね。

 

以前、誕生日に財布を落としたことがあります。

 

よりによって誕生日に落とさなくても、と最悪の気分で社長の出口に話すと、予想外の答えが返ってきました。

 

「お、最高じゃん」

聞いた瞬間は、さすがにひどいなと思いました。でも、そのあとに続いた出口の言葉は秀逸でした。

 

「今年は、もうこれ以上悪くなることはないよ。ボトムからのスタートだから、あとは良くなる一方だ。」

 

ものは考えようです。落ち込んでいても財布を落とした事実が消えるわけではありません。明るく捉えれば、前向きになれるのです。

 

落とした財布は折りたたみ式です。しかもぼろぼろでした。買い換えろというサインだったのかもしれません。

 

ある本に、「お金持ちは長財布をもっている」と書かれてたことを思い出しました。いいチャンスだと思い、長財布を買い求めました。

 

その本によれば、長財布にするとお金を大事に扱うというのです。お金に敬意を払って入れば、必ずお金が集まってくる。長財布に替えた僕も、お金に対する敬い方が変わったような気がします。

 

 

こんな時、心の状態をどのように持っていくか。対処法は一つしかありません。前向きに捉えることです。

 

僕は、すべてのことに意味があると考えるようにしています。

 自分にとって悪い出来事が起こった場合、あらかじめこうなると決まっていたと考え、「この出来事は自分に何を教えてくれようとしているのか」をしっかり考えるのです。もっと大きな失敗をしないようにという警告ではないか。そういった前向きな発送が生まれてきます。

 

 

さて、先日私は財布を落としました。それも、ちょうど二つおりの財布。

 

中身はキャッシュカードやクレジットカード、免許証、保険証、それに漫画喫茶の会員証まで、

すべてが入っていました。思い出のあれこれも入っていました。

 

現金も20000程。

ただ、幸いなことに銀行の講座には200円ほどしかなかったのでよかったですが、、

 

そんな時、この文章を思い出しました。

 

この財布紛失事件は、何を伝えてくれているのか。

前向きにとらえて見ます。

 

あとで友達に聞くと、ああ、あのパンパンに膨れ上がったダサい財布ねと言われました。自分でも使いにくいと思っていました。そこで、今後はもっとスマートに使っていきたいですね。

 

また、ボロボロの旧千円札を持っていたのですが、私を手放しなさいということだったのでしょう。

 

これを機に、

長財布にしよう

もっと大事にしよう

お金を大事にしよう

忘れ物タグというものをつけよう

 →これが一番大きな気づきだと思います。今回無くした財布がこの規模だったからよかったものの、今後どんどんと大人になって肩書きや社会的な地位?のようなものが付随すると無くした時はものすごく厄介です。

 

本当に大事な、無くしてはいけないものは、忘れ物タグをつけろということだったのかもしれません。

 

もう、二度と無くすなよという。

 

 

です。