sandrutanの日記

本で気になったことのメモです。気取ってます。主観がバリバリ介入します。

イシューからはじめよ

その分野についてなにもかも知っている人は、新しい知恵を生み出すことが極めて難しくなる。

 

 

また、これはビジネスの世界においてコンサルティング会社が存在している理由のひとつでもある。

 

業界に精通した専門家をたくさん抱えているはずの一流の会社が高いフィーを払ってコンサルタントを雇うのは、

 

自分たちは知りすぎているが故に、その世界のタブーや『べき論』に束縛されてしまい、新しい知識が出にくくなっていることが大きな理由のひとつだ。

 

 

これは理解。

 

新しいことをやるとしたら、そのことについての深すぎる洞察はあまり好ましくないのかもしれない。しかし、知らないといけないこともある。

 

よって、

 

何か新しいことをする。

例えば出会い系サイトを作るとする。

 

まず、三日間は本気で情報を集めまくる。

深すぎて深い洞察をするためだ。

 

そのくらいしてやっと、スタートラインにたてる知識がつく。

 

だから、上の引用をみて

あ、なんだ。知識入れすぎちゃダメだから辛く頭に入れる程度にするか。という心構えではダメだ。

 

ダメなんです。

 

本気で集める心意気でやっと知りすぎない適量になれる気がする。

 

人間は言葉にしない限り概念をまとめることができない。 

 

これに関して、思うことは二つです。

 

①その通りである

 

②言語の限界はあるのか

 

です。

 

 

①その通りである

 

人間は内側に秘めているだけでは人を動かすことができません。

背中で語るということもありますが、それは受け手が勝手な解釈をしていることがあります。

 

そして何より、言語は人間のすべての考えや想いを、口から出た言葉として一言一句相手に伝わります(もちろん、相手のバックグラウンドによって響く言葉は違えど)

 

よって、人間は言語によってでしか概念をまとめることができないというのはとても大切なことです。

 

②言語に限界はあるか

 

ほら、言葉にならない言葉ってあるじゃないですか。

なんていうかな、こう、本当にオノマトペで表現してしまいそうになってしまうあれです。

 

長嶋茂雄さんの、「打つ瞬間はな、シュバ!だ。」という指導方法もあるように、オノマトペでいけるちゃうこともあります。

 

ホモ・サピエンスの開発した言語によって、僕たちは空想を共有できるようになった。いま目の前で起こっていない出来事(夢や未来、過去の話)をホモ・サピエンスは共有できる。

 

ただ、その言語にすべてを閉じ込めることは難しい。

そこで、どうしてもオノマトペが出てきてしまう。

 

ただ、もしかするとオノマトペをすぐ直感的に使ってしまう人というのは、

適した言葉が世の中にあるのにも関わらず、それを探さない人という可能性もある。

 

ただ、本当に言語に閉じ込めるにはもったいない表現もある。

 

だから、僕たちの世界は言語を用いて景色の100%の共有が難しいけれども、95%の空想は言語で共有可能なわけだから、

 

言語化して伝えるという作業はとても大切だと思いました。