sandrutanの日記

本で気になったことのメモです。気取ってます。主観がバリバリ介入します。

竜馬がゆく

 

さて、今回は司馬遼太郎竜馬がゆくから抜粋します。

 

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命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困る。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業を成し得られぬものなり。

 

愛嬌とは女の愛嬌ではない。無欲と至誠からにじみでる分泌液だ。

 

はい。これはかの有名な竜馬が行くの中の一節で、西郷隆盛坂本竜馬の人柄について解説してるところですね。何巻のどこかは忘れました。

 

 

『ああ、かっこいいな。こういう人』

と、率直に思うわけです。ああ、こんなオオモノに憧れてるんだなって。国家に大業成し遂げるとかカッコいいじゃないですか。

 

でも私がカッコいいと思って、憧れて

 

命も要らない金も官位もいらないーーー!!ってなっても、

 

僕はどこかで

『ボクチンのことを他人様がそんな感じで見ますよーに!』

 

と願ってしまうなと思いました。

 

また、無欲と至誠からにじみでる分泌液を出すために、自分の中の欲を無にする(ように見せかけた時点で欲がある)

 

というよくわかんないジレンマを抱えてしまうわけです。

 

この言葉かっけぇ。と、思っているうちはダメなんですね。

いつか自分の中の何かが刺激されて、この言葉のことを忘れた頃に、

 

『あれ、君って金とか官位とかいらないの?』『無欲だから分泌液ドバドバだね』的なニュアンスを他人様からいただけたら、

 

本物ですね。

 

もう大業成し遂げた人です。

まあ、大業成し遂げた人って

『大業なしとげてぇ!』とは思ってなくてとにかく目の前に集中しまくった結果ということなんだなって。

 

 

 

利が、世の中を動かす。議論では動かない。

経済が時代の底を揺り動かし、政治がそれについてゆく。

それが、歴史の原理。

 

これです。

利が人間を、世の中を動かすというのは極めて本質的な事で当然であると思います。

 

営業でも、

べねふぃっとを伝えるんです。と、習うではないですか。

 

 

でも、意外と見落とすポイントだったり。

そして、確かに議論では人は動かない。この場合の議論とは、おそらく意味なくダラダラと話し合う事なのではと思います。

 

よくあるよね。

何も生み出さない会議。

 

その証拠に

『意味のある会議!』なんて本がビジネス書のとこに乱立してる。

 

そしてまたハッとしたのは、

世の中を動かしてるのは政治ではなく経済であるということ。

 

お金という信用の概念が生まれてから、

モノとモノの間に介在するお金というのが世の中を動かしているといっても過言ではない。

 

そしてその世の中の動きを制御、または増幅させるために政治が整える。

 

本当にこの動きだと思います。

スゴーーーク当たり前だけど、言葉にしないといけない大事な話。

 

基本の基本。

 

無償の愛だってある。とは一瞬考えましたが、例えば溺愛してる恋人に対して無償の愛を与えるとしても、その恋人の笑顔だとか、喜んでくれたりとかのリターンがある。

 

利というのは、卑しいものでもなんでもない。

ただ、人を動かすに当たって無尽蔵に利を提供するのは良くない。調整することですね。

 

 

改めて、

人を、世の中を動かしたかったら効果的な利(価値、ばりゅう)を提供しなさいってことなんね。

 

改めて考えるまでもなかったか。

 

 

 

会議などは、無能な者のひまつぶしにすぎない。古来、会議でものになった事柄があるか。


物を創り出すのは、一人の頭脳さえあればいい

 

これは司馬遼太郎が文中にちょいちょい入れてくる持論チックや奴です。

 

思うことは、ただ一つ。

 

その通りじゃん。

 

です。

 

無能の暇つぶしかどうかは難しいけども、有能な人が集まっても最大級にうまくいっていくかは保証できない。

 

国会の中継なんていい例で、あんな質問の事前通告したのを答えるだけなんて

 

わざわざテレビでやんなくても議院どうしでメールで済ませてくださいよ。決定したらニュースで流してくださいですよ。

 

まあ、官僚だけど本当は。

 

会議の場で決めるというよりも、

1人の頭脳で決めていったことを確認、承認、修正するのが会議じゃないですかね。

 

ただ、良い会議も存在はします。

三人寄れば文殊の知恵というやつを体現するやつですね。

 

ただ、それには良質なテーマと質問、フレームがある程度は必要。

 

まあいろんな会議の方法とか諸々あるけども、

 

自分の脳は、何かを創り出す一つの頭脳であるということを常に意識したいと思いました。

 

自分が会議を開催する側なら

①目的を決める(ある程度自分の中で決めておく)

 

②必ず、期限と責任を明確にする

 

③参加者が考えや意見を自由に言える仕組みを作る。

 

自分が会議に参加する側なら

①事前に会議の主催者に目的を聞く

 

②ある程度は自分の中の意見を持っていく

→ここが頭脳

 

③yesマンにならない

 

ですね。

 

 

 

ひとことも過去を語らない。
ただ将来のみを語った。
これは人物でなければできない境地だ。

 


はい。本日もやってまいります。
これは、西郷隆盛坂本竜馬に会った後の感想です。

 

 ほぉー。

 

 

将来とは今の世の中でいうとこの、会社のビジョンみたいなものですかね。

 

と考えるものの、坂本竜馬の場合は違う。

黒船を見たあの時から、純粋に自分の内側からフツフツと込み上がってくるなにか

 

それが、坂本竜馬の場合は日本を洗濯することだった。

 

確かに、昔の話や自慢話をしてしまう時があります。それは全て過去のことです。

 

確かに、将来のことを永遠と話しているのは人物かもしれませんね。

 

自分が強烈に実現したい将来が見えるというのは羨ましい限りです。

 

何かその人にとって強烈なキッカケ、経験があればこそ『こうしたい!!』と思える未来が生まれる。

 

やべえ、俺なんか経験してないっけ?

と、過去を振り返るものの何も見つからない。そして、俺の人生はこんなもなのかと悲しくなる。

 

まあ解釈次第だと思いますよ。

ある人にとっては取るに足らない満員電車かもしれないけど、ある人にとってはそんな満員電車も何かのキッカケになるかもしれない。

 

だから、解釈次第。

 

 

また、将来オンリーを語って信用される人は正直すごいです。起業家さんのスピーチだって大体過去のキッカケの経験のから話すことによって、語るビジョンに説得力が出るものです。

 

それを、将来のみを語って西郷隆盛に『ハッ』とさせるには何かあります。

 

坂本竜馬の本気度なのか、目に見えない気迫というか、論理的には解決できない何かの魅力があるのです。

 

本当に自分の人生を生きる人。

そんな人間になりたいものです。

なろう。

 

 

 

弁論よりも事実を作り上げ、事実をして言わしめるというのは、竜馬が脱藩以来、終始とりつづけてきたやり方である。

 

これは司馬遼太郎が竜馬の行動について述べたことですね。

 

いやーーこういうタイプは厄介ですね。

だって事後報告なんですもん。

 

でも、かなり参考になりますね。

 

『ぼくこれやりたいんです!まだ何もできてないけど、協力してください!!』

 

よりも、

『ぼくこれやりたいんすけど、ここまでできちゃったんですけど、協力してくれませんかねえ』

 

の方がなんだか手伝いたくなる。

 

ちゃんと行動しちゃうのもいいですね。

 

事実を創り上げることの難しさはありますが、

なんかかっこいいっすね。

 

 

でも、この時代になって、事実を作り上げるに当たって事前に確認しておくことで後々有利に働くことはあるので、そこは戦略次第ですね。小さな事実を創り上げることならまだしも、本当に規模が大きくてにっちもさっちもいかないこともあるので。そこは、ずる賢くね。ね。”

 

 

という自分も自分の中に閉じ込めつつ、

坂本竜馬系の奴は『そんなの関係なさすぎわろた』といったレベルで事実を作ってしまうのかもしれませんね。

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

志操さえ高ければ

商人の真似をしてもかまわない。むしろ

地球を動かしているのは思想ではなく、経済だ。

 

 

はい。こんにちは。

これは竜馬が言っていたことです。

 

これ、非常に大事な事だと思いました。

 

よく、大切なのは想いであるとは言いますが、

 

想いオンリーになっている人ってとても多いと思います。

 

正直、想いだけ語っていても支持してくれる人は大いにいますが、全員が賛同するわけではない。

 

そして、人を、世界を動かすのは経済であるというのは真理です。

 

ただ、想いは大事です。

 

世界を動かしたいと思う自分を突き動かすのは間違いなく想いであると考えます。

 

世界を動かす時、重要なのは

 

極端に書くと

①自分を突き動かす為の想い。

②自分以外を動かす経済。

 

です。

 

ではこの辺で。

 

気取ってます。

 

 

 

仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八部までが困難の道である。あとの二分は誰でもできる。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。

 

そうでなければ大事業というものはできない。

 

なるほど。

確かにそうですね。八割つくれば、二割はもうあと

 

やるだけです。

 

まあ、その二割をやる伊藤博文のような処理家が名を残すのですが、

 

大事業をやる人、やり続ける人、追い求め続ける人は、自分以外ができることというのはやらない気がします。

 

だって、時間は限られているから。

 

 

男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。

 

しかし同時に、おおぜいと一緒に酔態を呈しているべきだ。
でなければ、この世で大事業は成せぬ。

 

 

この解釈は、自分を失うなということではないのかなと思います。

 

 

どんちゃん騒いでる。酒に塗れてる。

 

でも、それをどこかで客観してる自分がいる。

 

 

すごーーく酒が回った時ってなんかそういう経験ありません?

 

 

もう一人の冷静になってる自分。

 

でもフラフラしてる自分。

 

 

 

まあ、大勢でどんちゃんしてる時はどんちゃんしてて、

 

そこに溺れてはならないということです。

 

 

どんちゃん沼に完全に浸かるのではなく、

 

片足だけ入っていつでも抜け出せる自分を用意してなくてはなりません。

 

 

その場の雰囲気に飲まれて仕舞えば、人は終わりです。

 

一気に支配される側に回ると思います。

 

でも、冷めた客観してる自分がいることで、

支配している自分になれるんだよと。

 

 

うん?

 

 

とりあえず、軸足をしっかりと持って、

バスケでいうピポッドの様に。

 

 

 

いまの世でウソだと思われていることが、次の世では当然なことになる。

 

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事件があいまいな以上、声の大きい方が勝ちである。

 

 

世というのは得てしてそういうものなのかもしれません。

 

 

そんなの嘘だよって、思ったらそれは思考の停止です。

 

 

いやもう今回は、一言です。

 

 

それな。

 

 

 

人には得手と不得手がたる。それを見抜いて人の得手を用いるのが良い。どんな人にも、長所はあるものだ。


大人物を用いよ。小言には小人物をあてよ。それが適材適所というものである。

 

人の得手を見抜く方法がこれが難しい。

 

得手、すなわち長所を見つけるには、

 

本人の口から聞ける範囲で聞きつつも、

 

本人の気づいてない本人の長所に気付けるか課題であると言える。

 

だいたい、本人が一番本人のことを分かっているということは無い。

 

一歩引いて、かつ一番近くにいる人しかわからない。

 

そもそも他人が一番自分を知っているなんて状況は作るべきではないのだが。

 

自分のことは自分で知るべきだ。

もちろん、自分を本当によく分かっているのは自分だ。

 

だが、皮肉にも他人が自分に対して感じている印象が自分なのだ。

 

あなたってこういう人だよね。と、言われた時点で

 

どんなに、いや本当はねと言ったところで、

 

その人にとってのあなたは、他人の心のバイアスがかかったものになる。

 

 

話を脱線したが、まとめると、

 

本当の自分を知っているのは勿論自分だ。

しかし、人と人との関係性で構築されている世の中では、アナタというのはいつだってアナタではない。他人の心のバイアスが施されたアナタである。それを覆すことも可能だが。

 

であります。

 

さて、

 

適材適所ということだが、

これは大いに見極める必要がある。

 

ある会社で活躍できるけど、転職したら無と化した人間もいる。

 

その人の特徴を元に、その人の輝く環境、場所、適した状態を割り振らなければ、

 

その人は価値を発揮できない。黄金が輝きを失って錆びてしまう。

 

適材適所に配置できずに人財が錆びてしまうことは人罪である。だれもが不幸だ。

 

再び輝きを取り戻すまで。

 

 

 


役人というのは、杓子定規でゆくべきだ。気の利かぬ役人こそ、本当の役人だ。そうあらね、国は成り立たぬ。

 

気の利かない、融通が利かない人

 

銀行員のように決められた書類にミスを犯さないようにする人

 

 

いっぱいいますね。

 

 

そして、そんな仕事の仕方を卑下する人もいる。

 

んだよ!融通効かねえなっ!って

 

 

それでも、お堅いと呼ばれる場所は、

 

本当にお硬くあるべきなのだ。

 

だって、そうやってまミスなく繋ぐことこそが、重要過ぎるからだ。

 

 

0を1にする混沌は融通なんて効かせまくりですが、

 

それを1にして、100にして、

維持しなくてはならないとなると、

 

カタイ必要があるんだな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっかけ

 

私は本来

『本読んでなさそうだよね。』

と言われるタイプの人間です。

 

しかし、実は読んでいるタイプなのです。

(あ、一日一冊とかのペースじゃないよ。通勤電車の中とかでさらっとね)

 

文庫のペラペラした紙では読んでいません。

iphonekindleのアプリを使っています。

 

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本物のKindleの『これ本当に紙見てる感じしないっすか?』要素を一切排除しています。

 

私の目にとって、優しいわけではありません。

チカチカします。

まあ、どうでも良いのです。

 

問題はここから。

 

本を読んでいると、

『お、ここ人生の役に立つんじゃない?』といった文字列に出会うことがあります。

勝手に自己啓発されちゃうわけです。全然自己啓発本じゃないのにね。

 

 

そんな時私は、スクショします。

 

あとで見返す。

 

そんな予定でした。

 

そう、私は

『あとで』と後回しにしたモノをそのまま置いていってしまうという事に関しては常習犯であるわけです。

 

要するに、

 

while iphone残容量 く 20mb do

   本読む

   いい感じの文章のとこスクショ。

   なんか満足。

end

 (これ動くのかな.)

 

という無限ループに陥るわけです。

 

そして、ついに来たのです。

 

 

 

iphone『ぴえ〜、もう容量ないっすわぁ』

 

 

じゃあ、そろそろフォルダからスクショの群れを消すね。

 

と、思ったものの消せない。

なんか名残惜しいのです。

 

そんな時、閃きました。

 

『アウトプットも兼ねてブログっぽいの作れば断捨離できるじゃんさ』

 

ということで、始めます。

 

基本的に、主観がバリバリ介入します。

主観しかないです。

 

本当に1人の人間が感じた、主観です。と、

バリバリの主観から発せられる意見、考えたことだけを書いていきます。

 

 

いやほんとに。

 

気分が悪くなってもエチケット袋は用意してません。

 

おえぇ、おろろろろ。

 

 

では、終わり。